福井県嶺北地方の黒龍についての伝説や言伝え また、 毛矢黒龍神社に関する言伝えなど

2008年2月19日火曜日

生江の世常 (今昔物語 [巻第17-47])

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神社記録によると、承平三年[933]生江の世常(いくえのよつね)が夢で神さまからのお告げがあり、黒龍神社(当時まだ舟橋)の社殿をつくりかえた。

生江の世常は、今昔物語[巻17-47]や宇治拾遺物語[巻15-7]に話が載っている。
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今昔物語 巻第17-47

生江の世常

むかしの越前の国に生江(いくえ)の世常(よつね)という者があった。
加賀のじょうという官職であった。初めは、家が貧しくて、物を食べることさえむつかしかったが、吉祥(きちじょう)天女にねんごろに仕えたので、後には富人になり、財室に満ち飽きた。

初め貧しいとき何日も食わず腹がへって、
「たのみ奉る吉祥天女よ、助けたまえ。」と念じたところ、
人があって「門にきわめて端正な女人がいて、主人に用があるといっている。」と告げた。
世経は「誰であろう。」と思って出て見れば、まことに美麗な女人が、かわらけにいい(飯)を一盛り持って、「これを食え。」といってくれた。
世経は喜んで、少し食べると、飽き満ちて、二三日たっても飢えの心がすこしもない。

しかし少しずつ食べているうちに、いい(飯)もなくなってしまったので、また先のように吉祥天女を念ずると、人があって、「主人に用があるという女人が門にいる。」と告げた。
喜びあわてて出てみると、先の女人がいて、「おまえをいとおしと思うが、どうしたらよいだろうか。今度は下文(くだしぶみ)を与えよう。」といって、文をたまわった。

世経が開いてみると「米(よね)三斗」と書いてある。
「これをどこへ行ってもらいますか。」というと、「これより北に峰を越えて行けば、中に高い峰がある。その峰の上に登って修陀(しゆだ)、修陀と呼ばると、出てくる者があろう。その者にあってもらい受けよ。」とのことであった。

教えのごとく行ってみると、まこと高い峰がある。その峰の上に立って「修陀、修陀。」と呼ばれば、高く恐ろしげな声で答えて出て来た者がある。
見れば額に角が一つはえ、目が一つで、赤いふんどしをした鬼である。鬼は世経の前にひざまっいた。

恐ろしいのをがまんして、「ここに下文がある。この米をくれよ。」というと、鬼は、下文を見て「ここに三斗と書いてあるが、一斗をあげよう。」と、袋に米一斗をいれてくれた。

その後、この米を取って使うと、また袋に米が自然と満ちて、取っても取っても尽きない。千万石取っても袋に一斗の米はなくならなかった。

国守がそのことを聞いて、世経を召し寄せ、「その袋を売ってくれ。」といった。
国の中にいる者として国守のおおせを断わりがたく、袋を国守に渡した。
国守は喜んで、その価として米百石を世経に与えた。
国守が一斗取り出して使っても、また同じように出て来て尽きないので「この上もない宝をもうけた。」と思い、持っていたが、百石取り終わったら、一斗の米が尽きて、出て来ないようになった。
国守は、本意と違って残念に思ったが、仕方なく世経に返した。

世経がこれを家に置いたところ、また前のように米が出て、いくら使っても尽きないので、限りない富人となり、もろもろの財産に飽き満ちた。

(今昔物語 [巻第17-47])


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