福井県嶺北地方の黒龍についての伝説や言伝え また、 毛矢黒龍神社に関する言伝えなど

2008年2月19日火曜日

利仁将軍、粥を食べさせる事  (宇治拾遺物語 十八)

--------------------------------------------------------
黒龍神社、現神主の先祖、藤原利行の父、藤原利仁が宇治拾遺物語 に出てくるエピソード 。
今昔物語に同じ題材の話が出ている。

芥川龍之介はこの話を題材に小説『芋粥』を執筆している。
---------------------------------------------------------

宇治拾遺物語 十八

利仁将軍、粥を食べさせる事

今より昔、敦賀に住んでいた鎮守府将軍・藤原利仁が若かりし頃、その当時、官職第一位の地位にいる人の下で警備を勤めていたのだが、その主人が正月に大きな新年会が催した。
その当時は宴会が終わると、残飯をあさりに来る者どもを屋敷に近づかせなかったので、残り物は宴会のお下がりとして、屋敷に仕えている者たちが食べていた。

ここに、侍の中で五位という地位にいる者がいた。長年まじめに勤めていて、屋敷に勤める者たちに一目も二目も置かれる存在だった。
この五位、その残飯整理の場で芋粥をすすって、舌うちをして、
「ああ、どうにかして飽きるまで芋粥をすすりたいものじゃ」
そう言ったのを、利仁が聞いて、五位に尋ねた。
「大夫殿(五位のこと)は、いまだに芋粥を飽きるだけ食べた事がないのですか」
「生れてこのかた、食べ飽きた事はないなあ」 
「それでは、飽きさせて差し上げましょう」
「それはかたじけない事です」 と語り合って、その場はお開きとなった。

さて四、五日ほど過ぎて、五位が非番の為、自分の部屋にさがってると、利仁がやって来て、
「さあ支度して下さい。お風呂に参りましょう、大夫殿」 そう誘うと、
「それは名案ですな、ちょうどあちこちが痒く感じていたところです。
しかし乗物は用意してませんが…」 
「ここに粗末な馬が用意してございます」 
「ああ、有難い有難い」 と言って外に出て来た。 
その姿は、薄い綿入りの絹の着物を二つほど重ねて着て、薄汚れた青色をした裾の破れた奴袴を直接はき、肩の折り目が少しくずれた、袴と同色の狩衣を羽織っていた。
顔だちは鼻高かなのだが、鼻先が赤くなっており、水ばなを拭わぬ為なのか、鼻の下がぬるぬるとぬめって見える。
また、後ろを見れば、狩衣が帯に引っ掛かってひん曲がったままで、整えもしないので大変見苦しい。 利仁は笑いを堪えながら、五位を先頭にして馬にまたがり、賀茂河原の方へ出発した。

五位の供の者は、卑しい召し使いの小僧さえいないのだが、利仁の供には、荷物担ぎ、馬の口取り、雑用夫が一人ずついた。 河原を通り過ぎ、栗田口にさしかかると、
「どこまで行くのですか」 と問えば、だだ、
「もうちょっと、もうちょっと」 と言いながら山科も通り過ぎる。
「これはどういう事ですかな。もうちょっと、もうちょっとと言っておいて山科も過ぎてしまわれたのは」 と言えば、
「あとちょっと、あとちょっと」 と言いながら逢坂の関所も通り過ぎる。
「ここよ、ここよ」 と三井寺の知り合いの僧のところへ入ったので、『ここで湯を沸かしているのか、それにしても気が狂いそうな程、遠かったなあ』と五位は思い返していたのだが、どうやらここにもお風呂はなさそうだ。 
五位はむっとして、言った。
「どこなのです、お風呂は」 
「本当は、敦賀にお連れします」 
「気狂いじみていなさる。京でそうおっしゃってくれたならば、下人なども従えて来ただろうに」 五位が溜め息をつくと、利仁はあざ笑って言う。
「なあに、利仁一人おれば、千人力とお思いなさい」 こうして食事を済ませ、急いで出発した。

その時、利仁は荷物担ぎの男に命じ、矢の道具を取り出させて背負った。 
しばらく行くと、びわ湖畔の三津浜で、利仁が一匹の狐が走り出て来たのを見つけて、
「良い使者が出てきた」 として、狐を追いかけ始めた。
狐は全力で素早く逃げるのだが、追い詰められて逃げ切れない。
馬から半身を乗り出して、落ちかかるようにして、狐の後ろ足を捕まえて馬上に引き上げた。
乗っていた馬は、毛並みは決して良くはないが、りっはな駿馬であったから、いくらもたたないうちに狐を捕まえる事が出来たのだ。
やっとの事で五位が追いついてきた時、利仁が狐を持ち上げて言う。
「おい、こら狐、今夜の内に利仁の家へ行き、『私は客人を連れて帰る。明日の巳の刻(午前十時)に、びわ湖畔の高島あたりに従者どもを迎えに来させよ。馬二頭に鞍を乗せ引っ張ってこい』と伝えろ。
もし言わなかった時は、どうなるか分かっているな。狐よ一つやってみよ。狐は神通力を持つものだから、今日の内に行き着いて言え」 と言って放してやったのを、
「頼りない使者だな」 五位が呆れて言うと、
「それなら、見てなさい。行かない事はまず無いでしょう」 と言ううちに、狐はすでにかなり先の方でこちらを振り返り振り返りしながら駆けていた。
「どうやら行く気になったようだ」 と利仁が呟いた時、もう狐の姿は無かった。

こうして、その夜は野宿となり、翌朝早くに出発した。
するとどうだろう、まさに巳の刻ごろに、馬に乗った者たちが三十騎ほど一団を作って前からやって来た。「なんだろう」 と見ていると、利仁が勝ち誇ったように言った。
「従者どもがやって来た」 
「意外な事だな」  五位が驚いていると、騎馬団はどんどん近づいてきて、ばらばらと馬から降りると、「それ見よ、本当にいらっしゃったわ」 と従者の一人が言った。

「どうかしたのか」 そう利仁が微笑みながら尋ねた。
従者を率いてきた家来が進み出て利仁に語りかける。
「昨夜、奇妙な事がありまして……」 「それより、まず馬は余分にいるか」  
従者を率いてきた家来を制して利仁がそう聞くと、「二頭ございます」 と答えた。

食べ物などを従者達が用意してきたので、利仁達も馬から降り、食事を始めると、従者を率いてきた家来が昨夜起こった出来事を話しはじめた。
「昨夜、奇妙な事件がありました。
戌の刻(午後八時)頃に奥方様の胸がきりきりと痛みだされまして、
『どうなさったのだろう』とか『祈祷師を呼ぼう』などと騒いでいると、
奥方様自らが、『何をそんなに騒いでおられる。私は狐である。他でもない、この五日、三津浜でここの殿様がお下りになる時、見つけられて逃げたが逃げ切れず、捕らえられてしまったところ、「今日の内にわしの家に着いて、客人を連れて行くので、あす巳刻に、蔵を付けた馬二頭を、従者どもに高島の浜に運ばせよと言え。もし、今日中に行き着かなかったなら、酷い目に合わせるぞ」と命令されたのだ。
従者ども、お願いだから早く早く行ってくれ。遅れれば遅れるほど、私はお叱りを受けるだろう』と、恐れ騒がれたので、従者達を呼び集め命ずると、奥方様は正気に戻られました。
その後、鶏の鳴き声と共にやって参った次第です」 語り終わると、利仁はうち笑い、五位と顔を見合わせると、五位は驚きの表情を隠し切れないでいた。

食事を済ませ、急ぎ出発して、薄暗くなった頃やっと目的地に到着した。
「それ見よ、まことだったぞ」 と出迎えた家臣一同、驚き合っていた。 
五位は馬から降りて、家の様子を見たところ、富み栄えている事、この上なかった。 
もともと着ていた着物二枚の上に利仁の夜着を貸して貰ったのだけれども、空腹も重なり、五位は大変肌寒く感じていた。 
だが、中に入ると、長いいろりに火がたくさん起こしてあり、筵が重ねて敷かれていて、酒のつまみや料理も用意されていて、豪華だなと思っているところへ、「道中、お寒かったでしょう」 と言って、従者の一人が綿で分厚くなった淡黄色の着物を、三枚重ねて持ってきて、五位の上にかけてくれたので、言い尽くせないほど幸せな気分になった。

食事をして、一段落した時に、利仁の舅・有仁がやって来て、利仁に向かって言う。
「これはいったい何があって、このように戻ってこられたのですか。帰る事の知らせは、とんでもない方法だし、娘は、にわかに苦しみ出す。不思議な事ばかりだ」 
利仁は、うち笑って、「狐の心をためして見ようと思ってした事ですが、本当にやって来て、告げたようですね」 「まったく不思議な事だ」 舅も笑った。
そして、「お連れなさった方とは、ここにいらっしゃる殿方の事ですか」
「さようでございます。『芋粥をまだ飽きるほど食べたことがない』とおっしゃるので、存分に御馳走しようと、お連れしたのです」 
「それはまた、たやすい物にも、満足されてないのですねえ」 と軽口をたたくので、
五位も、「東山に湯を沸かしているといって、人をだまして連れ出して、こんな事を言うのですから」 と言い返した。

やがて夜が少し更けたので、舅は自分の部屋に戻って行った。 
五位は、寝室と思われるところに案内されて寝ようとすると、綿が四、五寸程(十二から十五センチぐらい)もある厚い布団が敷かれている。 
もともと自分が着ていた薄い綿入りの着物はむさ苦しく、それに何かいるのか痒い所も出てくる着物なので、それ脱いで淡黄色の着物三枚を着直して、その上にこの布団を被って寝た。
が、今まで一度も経験したことがないので、のぽせ上がってしまい、汗をびっしょりかきながら寝ていると、障子の向うで人が動く気配かするので、「誰だ」 と問えば、「『足をおさすりせよ』とのお言い付けにより、参りました」 と言う。
気配には、特に殺気は感じられなかったので、その者に足を掻かせて、風通しの良い所に移って横になった。 

気持ち良く横になっている時、突然大きな声がしたので『何の騒ぎだろう』と思って耳を澄ませていると、従者の一人が次のような事を叫んでいるようだった。
「この辺りの下僕どもよく聞け、明日の卯刻(午前六時)に切口三寸(約10cm程)、長さ五尺(約1.5m)の芋を各自一本ずつ持ってこい」 
五位は『驚くほど大げさな事をいうのだなあ』と思いながら眠りについた。

明け方になって、耳を済ますと、庭に筵を敷く音がするので、『何をするのだろうか』と雨戸を開いて覗くと、小屋当番を始めとして、みんな起き出していて、長い筵を四、五枚敷いている。『何の為のものだろう』と見ていれば、一人の下僕が棒のような物を一本、肩に担いで現れて、筵の上に置いて去った。 

その後に続いてまた一人、また一人と一本づつ置いて行く物をよく見ると、本当に直径三寸程の芋で、長さも五、六尺ぐらいのものばかりである。 一本ずつなのだが、巳刻(午前十時)までかかって、最後の下僕が芋を置き終わる頃には、五位がいる家の屋根と同じ高さほどまで積み上っていた。

昨夜の叫び声は多くの下僕に命令を伝える為に、人呼びの丘という塚の上から発せられたものだった。そのため声の聞こえる範囲の下僕がすべてが持ってくるので、このように芋の山ができてしまった。
この上に、まだ遠くにも下僕が多くいるのである。『凄い』と感心していると、今度は、五石(米約700kg)入る釜を五つ六つ担いで持ってきて、庭に杭を打ち込んで固定してずらりと並べた。
『何に使うのか』と思っていると、白い絹で出来た襖という着物を着て帯を締めた、若くこぎれいな女達が、白く新しい桶に水を汲んで来て、釜にざばざばと入れる。
『何だ、お風呂でも沸かすのか』と見ていると、実は、この水に見えた物はだし汁だった。
若い従者たちが十人ほど、着物の袂より手を出して、鋭利な包丁で芋をむきながら、薄切りにして釜に入れていくので、やっと芋粥になることが分かったのだが、食欲も失せてしまい、かえって、見たくも無くなった。 
ぐつぐつと煮えたぎらせて、「芋粥が出来上がりました」 従者の一人が利仁に言う。
利仁、「差し上げなさい」 と命ずると、まず、大きなどんぶりを持ち出し、そこに一斗(約18リットル)ぐらい入りそうな金の銚子から、三、四割、芋粥を取り分けて、「どうぞ」 と持って来たが、五位は見飽きてしまい一口も食べれそうに無くて、「もう飽きました」 と言うので、大笑いした後、集っていた人達が芋粥を片付けにかかった。

「客人殿のおかげで芋粥が食えた」 とそこに集まって来ていた人が口々に言った。
そうこうしていると、向かいの長屋の軒下から、狐が覗いているのを利仁が見つけ、「あれを御覧なさい。昨日の狐がやって来ている……。そうだ、彼にも芋粥を食べさせてやれ」 と命じて、食べさせると、あっという間にぺろりと平らげてしまった。

このようにすべてにおいて、豪華という言葉では語り尽くせない。 一か月程して、京に戻ってきた時、五位は何着もの着物を数重ね、それに高価な八丈絹・わたなどを革の鞄に土産として貰っていた。
初日の夜の布団なども言うまでもなく、その荷物を運ぶ鞍付きの馬までも貰って帰って来た。

貧乏だとしても、長年その地位を守って一目も二目も置かれるようになれば、そういう優遇してくれる者が向うからやって来るものである。

(宇治拾遺物語 十八)


-------------------------------

0 件のコメント:

ブログ アーカイブ