福井県嶺北地方の黒龍についての伝説や言伝え また、 毛矢黒龍神社に関する言伝えなど

2008年2月19日火曜日

継体天皇 (矢立明神由来)

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継体天皇の言い伝えと、矢筈の清水、笏谷、矢立大明神の由来
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天王様(おおと皇子のこと)の治水のとき、役夫たちはのどのかわきに悩んだ。
天王は携えていたしゃく(杓)を投げうって水を求めたが、得られなかった。
さらに矢を放ったが、一の矢は山上にとまり、二の矢は中腹にとまった。
三本目は最後の矢なので、天神・地神・天照皇大神宮に祈って、身を投げうって矢を放った。
矢ははるか虚空に上がり、空中から舞い落ちて石山のふもとの岩盤を射通し、その音は大岩石を投げうつようであった。

しかるにその所から清水がわきいで、天王は喜びの涙を流した。
その旧跡を矢筈(やはず)の清水といい、その谷を杓谷(しゃくだに)という。
三本の矢は、諸人の命を助けた神矢なので、神殿を立て矢立(やたて)大明神としてあがめ奉り、社頭を立矢町と名付けた。

また天王が召し連れた十七人の者に社頭の神主を命じ、それぞれに世過ごし(生活)ができるように仕事を下し置かれた。

(矢立明神由来)


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