福井県嶺北地方の黒龍についての伝説や言伝え また、 毛矢黒龍神社に関する言伝えなど

2008年2月19日火曜日

黒龍大明神

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黒龍大明神の由来や言い伝え
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天地のはじめのとき、国土守護の神として四方の国に四柱のかみがいた。
東は常陸(ひたち、茨城県)の鹿島(かしま)大明神、
南は紀伊(きい、和歌山県)の熊野(くまの)大明神、
西は安芸(あき、広島県)の厳島(いつくしま)大明神、
北はわが越前の黒竜(くずりゅう)大明神である。
この四神が日本の四隅を守護した。

承平(935)のころ生江(いくえ)の長者世常(よつね)の宿禰(すくね)という者が霊夢を受け、社殿を建てた。それ以来毎年七度の祭礼をかかさない。

(越前国絵図記)


黒竜(くずりゅう)大明神はひじょうに古い。
いつのころからあがめているのかわからない。
承平年中伊良縁(いらえ)の世恒(よつね)の宿禰(すくね)という長者があって社殿を建てた。
延喜式にある坂井郡毛谷(けや)の神社とは黒竜宮のことである。
今のこの社のふもとを毛谷(毛矢)というのはそのためである。

(帰雁記)


暦応元年(一三三八)兵火によって社殿が焼けたが、神霊は、飛んで裏山(天魔ヶ池のある所)の樹上にとどまった。よって今その地を竜ヶ岡という。

(福井県神社誌)


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