福井県嶺北地方の黒龍についての伝説や言伝え また、 毛矢黒龍神社に関する言伝えなど

2008年2月19日火曜日

継体天皇 (朝倉始末記から)

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継体天皇の言い伝えと、三国の由来
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朝倉義景が雄島へ参拝するとき、三国の港を通ったので、問丸(といまる・商品問屋)の者どもまかり出てお礼を申したところ、旧儀を聞き覚えたことがあれば、何なりと申せといわれた。
そこで中でも老年の者が進み出て、次のように語った。

昔この越前中の郡(なかのこおり)は、漫々たる湖水であったのを、人皇二十七代継体天皇が、まだおおとの王のとき、味間野の皇子と号し、当国の守護としておおとべに(大迹部)おられたおり、
海と湖水の境を掘り切れという天皇の宣言により、この港の箇所を切り落としところ、ちょうしの口から水を下すごとく水が流れ出たので、その場所をちょうしぐち(銚子口)といい、今に至っている。

水が落ちて後港となり、てんじく(インド)しんたん(中国)わが朝(ちょう)にも並ぶもののない港であるというので、三国(みくに)の港と名付けられた。
湖水の跡はことごとく田畑となり、国中過分に広がり、くわ・あさが多く出き、大上上国となって、万民富福になった。

武烈天皇のなきあと、おおとべ王を太子に立て、やがて即位して継体天皇となった。
天皇が死なれて後、その生まれた国であるので、遺勅により陵を当国に納め、足羽大明神と尊敬し奉る。今の木田山の社がこれである。
しかし千年以上も前のことであるから、人の語り伝えであって、事の実否はおぼつかない。

(朝倉始末記)


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