福井県嶺北地方の黒龍についての伝説や言伝え また、 毛矢黒龍神社に関する言伝えなど

2008年2月19日火曜日

黒竜  くずりゆう

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継体天皇の黒龍退治と黒龍神社の起源のはなし
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むかしは、黒竜と書いてクズリュウとよませました。
九頭竜という字をあてるようになったのは、後の世のことです。
ずっとむかし、越前は一面の湖だったそうです。

この湖は、上と下の二つに分かれていたのですと。
そして上の湖には青い竜、下の湖には黒い竜が住んでいたのですと。
この竜は雨を呼ぶ力を持ち、湖をあふれさせ、田も畑も水にしずめてしまうのですと。

継体天皇(けいたいてんのう)がまだおおとの王子といって、越前におられたころ、この竜を退治して、人々を洪水から救ってやろうと思われました。
王子が、足羽山(あすわやま)にのぼって、湖をずっと見渡しますと、はるかかなた、今は、三国町になっているあたりに、大きな岩山があって、湖の水が海へ流れ出るのをさまたげていました。
この岩山を切り破ればよいのですが、黒い竜がじゃまをするので、今までだれも手をつけることができませんでした。

王子は、岩山の方を見つめ、かぶら矢(音が出る矢)を弓につがえて、キリキリと引きしぼり、ビューッと放ちました。
矢は、大きな音をたてながら、湖の上をぐるぐる回っていましたが、やがて岩山をこえて海の方へ飛んで行きました。
すると矢のあとを追って、湖の水がぐんぐん進んで行き、岩山をつき破って海の中へ流れこみました。
しばらくすると、矢はもどって来て、また水の上をぐるぐる回ってから、海の方へ飛んで行きました。
今度も水が矢のあとを追って、岩山をつき破りながら海へながれこみます。
しばらくして、三度矢がもどって来ました。水の上をぐるぐる回って、海の方へ飛び去りますと、水も三度岩山をつき破って、海へ流れて行きました。

三回でもう湖の水はなくなりましたので、矢はもどって来て、足羽山のふもとに落ち、地面につき立ちました。
それでその場所を立矢(たちや)といい、そこにお宮を建てて、その矢を矢立大明神(やたてだいみょうじん)と称しておまつりしました。

岩山がつき破られた所が、三国港のちょうし口です。ちょうし(酒をつぐ器)の口から酒が流れ出るように、湖の水が流れ落ちたのでこの名があります。

湖の水がなくなってできた川が、黒竜川(くずりゅうがわ)です。
王子は、湖の主であった黒い竜をこの川のほとりにまつって、黒竜大明神(くずりゅうだいみょうじん)としました。今は黒竜神社(くろたつじんじゃ)といっています。


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